アーミッシュ宗派の起源を簡潔にまとめてみた

まえおき

パワーポイントでの手作り感あふれるトップ画像でお恥ずかしいです。
絵心が欲しい……。

そもそもアーミッシュって、何が起源でどういう宗派なの?

という質問に、今までうまく答えられませんでした。単純な歴史じゃないので。

でも自分の中で改めて整理をして、ものすごーく簡単にまとめてみることにします。

きちんと調べて書いてはいるのですが、歴史の専門家ではないため言葉足らずなところや、
理解のニュアンスが違うことがあるかもしれません。

今後、ご意見ご指摘などを聞きながら修正を加えていくかも。

それでは説明スタート。

再洗礼派の誕生

アーミッシュという宗派の説明をするためには、16世紀の宗教改革の時代にまでさかのぼる必要があります。

はい、中学校の教科書に出てきたような気がする、あの「ルターの宗教改革」です。

16世紀初めのヨーロッパでは、ローマ・カトリック教会の権威が揺らぎ始めていました。

ルターは「教会によってではなく、個人の信仰によって人々は救われる」と説いた人物です。

ルターの起こした宗教改革の流れの中で、あるグループが生まれました。

彼らは、「幼児では洗礼の意味を理解できない」という考えを持っていた人達です。

当時は赤ちゃんのときに洗礼を受けるのが当たり前でしたが、彼らは大人になってから自分の意思で洗礼を受けるべきと考えていたのです。

その考えは、聖書の記述を根拠にしています。

こういう思想は当時はまったくの異端。政府から反対され、これまで通り幼児洗礼を行うように命令を受けることになります。

が、彼らはこの命令を無視。

1525年1月25日。グループ内でお互いに洗礼をし合いました。

この日が再洗礼派の誕生とされています。
201601081

この人達は当然、幼児のときに既に洗礼を受けていますから、このときの洗礼は実質的には2度目の洗礼。

「再び」洗礼を受けた人達ですから、「再洗礼派」と周囲から呼ばれるようになりました。

でも、当の本人達にとっては、幼児のときに受けた洗礼は正式な洗礼じゃありません。

だから、「再」洗礼ではないんです。

「再洗礼派」とはあくまで周囲がつけた呼称で、彼らは自分達のことを「スイス兄弟団」などと呼んだそうです。

 

ちなみに、再洗礼派は国の政府の指示に従わずに自分達で洗礼を行いましたから、当然反感を買います。

再洗礼派は「国家、教会に対する挑戦」とされ、差別・弾圧されることになります。

 

この差別・弾圧の歴史は長く続き、アーミッシュのアイデンティティにも多大なる影響を与えることになるのですが、

ここでは「アーミッシュ宗派の誕生」にフォーカスするため、言及しません。(別途、記事を書きます!)

 

メノナイトの誕生

次は「メノナイト」というグループについてです。

メノナイトは現在世界中に広がっており、日本にも教会があります。

(こちらの記事で、日本のメノナイトについて少し書いています。アーミッシュはどこに住んでいる?

メノナイトは再洗礼派から生まれたグループです。

当時、再洗礼派は厳しい弾圧・迫害にも関わらず農村地帯を中心に広がっていました。

スイス、ドイツ南部だけでなく、北部ドイツ、オランダにも広がっていきます。

その中で、過激な思想をもつグループが生まれました。
北部ドイツの一部の再洗礼派です。

彼らは本来「絶対平和主義」なのにも関わらず、武器をとってドイツ・ミュンスターを占領してしまいます。

結局、ミュンスターは国の軍によって奪回されるわけですが、その他の再洗礼派にとっては運命的な事件となりました。

この事件のせいで再洗礼派はさらに迫害・弾圧されるようになってしまったのです。

ただ、再洗礼派の中でも完全に暴力を否定し、平和主義を貫くべきだと考えている穏健グループがありました。

それが、オランダ再洗礼派。

彼らは、ミュンスターを占領した狂信的な再洗礼派を否定し、平和主義再洗礼派を組織します。

このグループを率いたのがメノ・シモンズという指導者。

彼の名前に因んで、平和主義再洗礼派は「メノナイト」という呼ばれることになります。

これが、1560年のことでした。201601082

アーミッシュの誕生

再洗礼派の誕生、メノナイトの誕生を経て、ここでやっとアーミッシュの誕生の話になります。

メノナイトは再洗礼派と同じスイス・南ドイツ・北部ドイツ・オランダに広がっていきます。

各地にメノナイトの指導者がいたのですが、そのうちの一人が、後にアーミッシュを率いることになるヤコブ・アマンです。

ヤコブ・アマンはメノナイトの若き指導者で、聖書の教えを忠実に実行したいという考えがありました。

当時のメノナイト宗派の中で彼が問題だと感じた点はいくつかあったようですが、大きくは2点。

①聖餐式(パンをキリストの肉、ワインをキリストの血と見立てて食事をするキリスト教の儀式)をもっと頻繁に行い、人々の信仰心を強くするべき
②教義をやぶり、悔い改めたなかった人への対応はもっと厳しくするべき

当時のメノナイトの中には、流行に流されて世俗的な生活をしたり規律のない行動をする人達もでてきていたようです。
そういう事情を背景にして、ヤコブ・アマンはキリスト教徒としてより熱心に信仰を実践するべきだと主張したようです。

そのうち、ヤコブ・アマンはメノナイトのとある指導者と対立するようになります。

その指導者は聖餐式を年に1回しか実行しなかったし、教義を破り悔い改めなった人を教会の役員にしていたりしました。

ヤコブ・アマンは彼と討議しようと設定された会合に出席しますが、その指導者は現れませんでした。

それどころか、若く熱心な指導者であったヤコブ・アマンに対して「若輩者が口を出すべきじゃない」という旨の手紙を送りつけます。

ヤコブ・アマンはこの事件をきっかけにメノナイトと分裂しました。

彼に賛同し信仰を実践した人々が「アーミッシュ」と呼ばれるようになります。
そう。「アーミッシュ」は、ヤコブ・アマンの思想に賛同した「アマン派」という意味なんです。

1693年、こうしてアーミッシュ宗派が誕生しました。
201601083

ヤコブ・アマンはスイスのメノナイトの指導者でしたが、ドイツ、オランダ各地のメノナイトにもこの出来事が伝わります。

ライン川沿いの地帯、アルザス地方に住むメノナイト宗派の中にはアマンの思想に同調する人々が多くアーミッシュもこのエリアに増えていきます。
ヤコブ・アマン自身もスイスからアルザス地方に移動しており、アーミッシュの地理的なルーツは、スイスとこのエリアと言うことができそうです。

おさらい

記事冒頭の手作りの図をもう一度。

ルターの宗教改革の流れの中で再洗礼派が誕生し、再洗礼派の中からメノナイトが誕生。メノナイトからアーミッシュが誕生。
アーミッシュ宗派の起源を本当にざっくり説明すると、こういう流れになると思います。

さらにいうと、このアーミッシュ宗派の中でも、後に分派ができていきます。

ニューオーダーアーミッシュ、オールドオーダーアーミッシュというように……。

それはまたの機会に記事にしようと思います。

この記事を書くにあたって、以下の書籍を参考にさせて頂きました。
『アーミッシュの人々』池田智著 サイマル出版会

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