アーミッシュの少女が犠牲になった銃乱射事件

絶対非暴力主義のアーミッシュ

アーミッシュのコミュニティは、本当に平和な風景が広がっています。

広い空、のどかな田園地帯、子どもがたくさん遊んでいる学校。

「絶対非暴力主義」を貫くアーミッシュは、戦争や訴訟にも反対します。

戦争時には政府にお金を支払い兵役を逃れたり、軍に入っても援護部隊に回ったり、なんとかして「暴力」を拒否してきました。

肉体的な暴力だけでなく、アーミッシュは「訴訟」も起こしません。

聖書の記述を根拠とし、徹底的に誰かと戦うことを拒否しています。

しいていえばアーミッシュは常に丸腰。そんな、暴力的な事件とはほとんど無縁のアーミッシュが、銃乱射という残酷な事件に巻き込まれることになりました。

アーミッシュ学校での銃乱射事件

この写真の場所は、ペンシルヴァニア州ランカスター郡ニッケルマインズ。

この土地にはアーミッシュの学校がありましたが、今は取り壊されています。

2006年10月3日、近所に住む当時32歳の男がアーミッシュスクールに銃を持って押し入りました。

男はアーミッシュの女子生徒だけ教室に残し、銃を発砲。5人のアーミッシュの少女が亡くなり、5人が重軽傷を負う事件となりました。

犯人の男は発砲後に自殺。この男は近所のアーミッシュとも顔なじみで、亡くなった少女の中のある家庭にも牛乳を配達していたそうです。

この残酷な事件は世界中のメディアで大きく報道され、私もそのときの衝撃をよく覚えています。

私はこの事件の9年後2015年10月、この学校跡地を訪問しました。

亡くなったアーミッシュの少女のメモリアルのため、メイプルの木が植えられていました。

少女の中の一人は、年下の生徒をかばおうと「私を先に撃って!」と犯人に訴えたといいます。
まだ13歳だったその勇敢な少女は犯人に撃たれ即死。その少女の11歳の妹も「次は私を!」と続いたそうです。

こんな一見平和な場所で残虐な事件が現実に起きたとは。

この木を見つめていると、言葉につまり、ただただ胸が痛みます。

アーミッシュが示したのは、「報復」ではなく「許し」

非暴力を貫くアーミッシュの、しかも女子生徒がターゲットにされたこと。
アーミッシュの少女が「私を撃って!」と勇敢に訴えたこと。

まずは二つの理由でこの事件は注目されることになりました。

その後の事件の続報で、さらに世界中がアーミッシュに注目することになりました。

アーミッシュが自殺した犯人と、その遺族を許すことを表明したからです。

実際、犯人の家族の家には事件の夜から何人かのアーミッシュが訪問をし、許しの意を表明したそう。
犯人のお葬式にもアーミッシュが参列しています。

このアーミッシュコミュニティの犯人とその家族への対応については、世界中で議論があったようです。

攻撃には攻撃で仕返しをするような世の中において、攻撃に対して「許し」を返したアーミッシュ。

尊敬、賞賛の声はもちろん挙がったものの、一部では批判もありました。

殺人犯を許して本当に良いのか?というような疑問です。

この事件の詳細やその後の議論については、たくさんの文献やニュース記事としてまとめられているのですが、
私も現在本を読んでいます。

この本を読んでいると、「許し」を表明したアーミッシュの遺族の葛藤や、生き残った少女がトラウマに苦しむ姿が分かります。
「アーミッシュは許しを表明した」と書くと、シンプルですが、この行動の背景にはものすごい葛藤があるとのこと。

アーミッシュといえど私達と同じ感情を持った人間。聖人でもなんでもありません。
家族を殺した犯人を「許す」というプロセス、そして「許し」を表明したあとの苦しみはも計り知れません。
読み進めるたびに胸が痛くなりますが、私なりにも意見を持てるところまで調べていきたいと思います。

事件後に建てられた「ニューホープスクール」

事件のあった学校は現在さら地になっておりますが、新しい学校が同じエリアに建てられました。

私は車で近くを探したのですが見つけられず、近所の人に場所を教えてもらいました。

もともとの学校は道路に面した立地にありましたが、新しい学校は道路からさらに小道を進んだ場所にあります。

誰がいつでも立ち入ることができたからこの事件が起きたわけではありませんが、新しい学校は防犯の目的も含め奥まったところに建てられたそうです。

「ニューホープスクール」。

「あの残酷な事件があったからこそ、新し希望を抱いて欲しい。」そんなコミュニティの思いが感じられるネーミングです。

事件で犠牲になったアーミッシュ少女5人の冥福を祈るとともに、身体と心に傷を負いながら生き抜いているアーミッシュの元女生徒達の明るい未来を祈って。

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