アーミッシュの子ども達から学んだ、「現実世界」に生きるという事

純粋な、アーミッシュの子ども達

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アーミッシュの子ども達と接していてよく思う事は、彼らが本当にピュアだという事。
「スれていない」という表現がぴったりくる、純粋な子ども達が圧倒的に多いです。みんな、はにかみ屋で、私というアジア人に興味津々で、でもとても遠慮がち(最初は。慣れてくるとアグレッシブ)。

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アーミッシュの学校に訪問すると、子ども達は興奮して迎えてくれます。アジア人が珍しいという事もあり、見慣れない訪問客に好奇心を隠しません。

私の一挙手一投足を面白がって、くりくりな目をさらに大きくして見つめてくる。目が合って笑いかけると、はにかみながら笑顔を返してくれる。
授業中でもチラチラとこちらを見て、何度目くばせをしても飽きない。

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本当に可愛いくて、メロメロになります。
アメリカの一般的な小学校にも訪問した事があるのですが、子ども達の様子はまったく異なりました。フードをかぶってうつむいている子。教室のすみっこでふてくされている子。目が合って笑顔を返しても何の反応もない子……。
そもそも、私の訪問に興味がない子がほとんどです。

アーミッシュの子ども達がその他社会の子ども達と違ってよりピュアだろうというのは、私の勘違いや贔屓目ではないと思います。これまで何人もの人をアーミッシュの学校に連れて行ったり、家族との触れ合いに一緒に混ざったりしてきましたが、みんな一様に、「子ども達がピュアすぎる」と感動します。
それだけ圧倒的に、子ども達の様子が違います。それは、学校や家庭に入り込まずとも、アーミッシュの親子をスーパーで目撃するだけでも実感できるくらい、明らかな事です。

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彼らの純粋さ、汚れのなさはどこから生まれるのかな? と考えてみると、やはりゲームやYouTubeやNetflixなどの動画、そしてテレビ番組やアニメ、映画などのバーチャルな刺激が少ない事が一因なのでは? と感じました。

この因果関係を証明するような論文や研究データなどはもちろんないので、これはあくまで私の推測でしかありませんが、なかなか的を得ている部分があるのでは? と今のところ考えています。そしてそこから、私自身学ぶ事がありました。

バーチャルな世界は、本当に面白くて、刺激的

ゲームやアニメ、動画、テレビって、本当に面白くて、刺激に満ちてますよね。泣いている2,3歳の子どもにYouTubeの画面を見せるだけでピタリと泣き止んで、数十分くらいダマって見てたりする事もあります。
新幹線とか飛行機の移動中に、どうにか子どもを落ち着かせるためにYouTubeを見せているお母さんは多いのではないでしょうか? 私も同じ状況であれば、必ずそうすると思います。(じゃないと、もう、どうしようもないですもんね…)
遊び盛りの子どもも、お気に入りのアニメが始まると、ジっとして動かない。小学生くらいになると、テレビゲームで何時間でも遊べる。
バーチャルなエンターテイメントの力って、すごいです。
それだけ、刺激が強くて、面白いのだと思います。私も映画が大好きなので、まったく否定できません。

ゲームに至っては、自分のアバターがソンビを殺したり、悪者を倒したり、建物を破壊したり、銃乱射したり……普段絶対しないような暴力的な行動ができたりもします。
アニメやドラマではものすごく可愛いキャラクターやかっこいいいキャラクターが出てきて、心を多いにときめかせてくれる事もあります。
お話のうまい芸人さん、派手なリアクションのアナウンサーの様子を見ているだけで、笑えたり泣けたり悲しんだり色々な感情を得る事ができます。
しかもこれらの刺激はすべて、画面モニターを見ているだけで、気軽に体験できるのです。

すごい世の中ですよね。

モニター越しの世界は、すべて編集されていて、面白かったり激しかったりと刺激に満ちていて、視聴者を飽きさせる事がありません。
そういう刺激を無防備に享受しながら育つのが、現代人の宿命です。

そんな宿命に、私は何も疑問も感じていませんでした。
でも、アーミッシュの子ども達に出逢ってから、何か疑問を感じ始めました。

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私達はバーチャルな刺激に浸りすぎて、その刺激の中毒になっているのでは? そのせいで、現実世界の小さな刺激に鈍感になっているのでは? と。
反対に、アーミッシュの子ども達はテレビもゲームもインターネットもないので、バーチャルな刺激が最小限。だからこそ、現実世界のささいな変化を刺激として受け入れる事ができるのでは? と。
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子ども達は欲求に正直なので、ゲームやテレビの刺激/楽しさを知ってしまったら、常にそれを求めるようになってしまいます。
そういう刺激がある状態が楽しい状態で、無い状態が楽しく無い状態と認識して、できるだけ楽しい状態でいたいと願うのは、無理のない事。
でも、それがどんどんエスカレートしていったら、どうなってしまうのかな?
と心配になりました。
バーチャルな世界、つまりYouTubeやゲーム、テレビがない世界を「退屈」と感じるようになってしまうのではないか? と。そして、簡単に快楽を得られる事に慣れてしまって、実生活で実体験をしながら快楽を得る事が、おっくうに感じ、二次元・オンラインの世界に入り浸るようになってしまうのではないか? と。

実生活は、バーチャルな世界と比較すると刺激が少ない

モニター画面を見ているだけで快楽・刺激を得られるとしたら、もうわざわざ快楽・刺激を求めて外に繰り出す必要も人と触れ合う必要もなくなります。
自分好みの笑いも、自分好みの人物も、自分好みの音も、すべてモニター越しに手に入ります。

そうなると、外に出て人と逢って、話して、一緒に何かをしたり、助けたり、助けられたり、
そういう「実生活」がつまらなく感じてしまわないだろうか……?

実生活って、バーチャルな世界と比較すると刺激が少ないです。
ゾンビもいないし、モデルや芸能人級の美男美女もそうそうお目にかかれないし、冒険や事件も少ない。

同じような毎日の繰り返しを生きている人が、全人類の9割ではないでしょうか?

そんな実生活が退屈に感じて、身体を動かして人と会う時間よりも、モニターに向かう時間ばっかりが増えてしまったらどうなるんだろうか……。

アーミッシュの子ども達にとっては、実生活こそが刺激そのもの。
お父さんの言葉も、お母さんの言葉も、お兄ちゃんやお姉ちゃんの言葉も刺激的。

現代っ子が、スーパーマリオになって何度も命を落としたり生き返っている間に、
アーミッシュの子ども達は馬に乗って高原を掛けて、生を感じている。

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現代っ子が、向かってくるゾンビを銃で撃ちまくっているときに、
アーミッシュの子ども達はお父さんが庭でつぶした豚を解体する手伝いをして、生死を感じている。

現代っ子が、たまごっちなどの育成ゲームで「そだてる」体験をおもしろがっているときに、
アーミッシュの子ども達は自分より年下の子の子守りをしたりお母さんのお手伝いをして、家事・育児のスキルを積んでいる。

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ゲームをやってる方が、テレビを見ている方がもちろん人間にとっては楽しい事/楽な事なのでしょうが、
アーミッシュの人達はそういう刺激に対して中毒になっていない。

だから、現代っ子より、もっともっと実生活を楽しむ事ができる。バーチャルな体験ではなく、実体験の訓練を積んでいる。

そんなふうに感じます。

だからこそ、アジア人の私が家に訪問すると、みんなすごく喜んでくれて、楽しんでくれて、珍しがってくれて、歓迎してくれるのかなと思いました。

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子ども達は、自分の部屋でゲームしたりYouTubeを見たりしないで、大人達と私がどんな話をしているのかをそばでじっと聞き入っています。それが彼らにとって、とても面白い事なのです。
日本人の子どもだったら大人の来客になんて興味を示さないですよね。

(少なくとも私は、自分と遊んでくれる大人以外の来客には興味を示さなかったです。ましてや、大人同士の会話はなおさら。)
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アーミッシュの事を、「禁欲的で、エンターテイメントを楽しむ事が許されていない」なんて揶揄する人もいるけれど、実態はぜんぜん違うと思います。

彼らは、ものすごく毎日を楽しんでいます。
日々の小さな事、小さな変化、小さな思いやり、小さな感情に目を向けて、それを味わっています。

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モニターを見ながらジっとしてる人はどこにもいないで、みんなが誰かと話していたり、誰かと遊んでいたり、誰かと一緒にいる。
子ども達は、YouTubeが無くても泣きわめいたりしないし、もっと些細で簡素なおもちゃをいじってずっと遊んでいられます。

余談ですが、アーミッシュの礼拝は3時間も続きます。
子ども達は、こんなシンプルなおもちゃを持って参加して、3時間の間だまって待つ事ができるのです。
↓小さなマグネットのおもちゃ。
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ゲームやYouTubeを出さない限り黙って過ごす事ができない現代っ子とは、だいぶ違いませんか?

生身の人間に刺激を感じられる事

生身の人間に刺激を感じなくなる事は、怖い事だと思います。

誰かと会って一緒にごはんを食べるより、家で動画を見ていたいと思ってしまったら、もうなかなか外に出る機会がなくなります。

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生身の不完全な人間と恋をするよりも、アニメキャラや芸能人などの「理想的」な相手にトキめいていた方が良いと感じてしまったら、
恋愛や結婚にそれほど価値を感じなくなってしまいます。
(ちなみに、アーミッシュの世界では恋愛結婚で平均7人の子どもを育てるのが普通です。日本は恋愛・結婚する人が減り、少子高齢化が深刻ですが、アーミッシュの社会は逆。20年ごとに2倍になるスピードで人口が増えています。
生身の人間と接する頻度・機会が現代人よりも圧倒的に多い事が、恋愛・結婚が減らない一因であるとも思います。)

私達は、バーチャルな世界ではなく、現実世界に生きている。
目の前で起きている楽しい事、刺激的な事に一喜一憂しながら、それを楽しんで生きていける方が幸せだし、健全だと思います。

あんまりバーチャルな世界に没頭してしまうと、現実世界が退屈に思えてきてしまうのかもしれません。
アーミッシュの子ども達の目と、普通の小学校の子ども達の目を見て、そう感じました。

だからといって、YouTube、ゲーム、Netflix、TVドラマ、映画を一切排除して生きていく事はできません。正直、私も無理です。
大切なのは、「加減」だと思います。

アーミッシュのグループの中では、ゲームボーイや任天堂DSなどの「ポータブルゲーム」の利用がOKのグループもあります。
でも、テレビゲームやTVドラマ、YouTubeやNetflixはダメ。

そうやって、ゼロイチではなく、妥協点を探りながら、できる範囲で制限している。
それで良いと思います。

極端に制限すると、制限していること事態がストレスになり、軋轢が生じてしまいます。

現代日本に生きる私たちだとしたら、インターネットに接続する時間を制限したり、
生身の人間と接するイベントにきちんと参加するようにしたり、
面倒くさがらずに外に出て人と逢うようにしたり……。

私自身、アーミッシュと接するようになって、
バーチャル(オンラインや架空の物語や芸能世界含む)な世界に生きる時間よりも、現実世界に生きる時間を増やしていかなくてはと感じるようになりました。

なぜなら、どんどんテクノロジーが発達して、人に会ったり人に頼ったり頼られたりする機会がなくなっているのが現代だから。
何かが必要になったらAmazonで何でも買えるし、お腹が空いたらUber Eatsが届けてくれるし、仕事もリモートでできる。
人に会わなくても、話さなくても、Netflixを見てれば寂しさは感じないし、TwitterやFacebookで束の間の「つながっている感」を得る事ができる……。

これは、うっかりしていると人がどんどん孤立化・孤独化していってしまう。そんな危機感を抱いています。
将来、孤独にならないためにも、孤立しないためにも、「現実世界」に地に足をつけて生きていきたい。

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アーミッシュの子どもの瞳から、学んだ事でした。

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