アーミッシュが「アーミッシュの学校」をつくった理由

アーミッシュの学校はどんな学校?

アーミッシュはアーミッシュ独自の学校を持ちます。
1年生から8年生の8年間で、「ワンルームスクール」という一つの教室で生徒が一緒に学びます。

アーミッシュの学校内

写真は、見学させてもらったオハイオ州の学校。

この学校は年長と年少で教室が2つに区切られていました。こちらが年少の子達の教室で、下が年長の子の教室。

薄い壁で区切られているだけでした。

アーミッシュ学校。年長者の方の教室。

先生は二人で、年少クラスと年長クラスを一人ずつ受け持っていました。

休み時間に外で遊ぶ子どもたち。

アーミッシュの学校の校庭で遊ぶ子ども

アーミッシュが住むエリアには一般のアメリカ人も住んでいますから、近くには公立の学校もあります。
通おうと思えば公立学校に通うことができる。

それなのになぜアーミッシュは敢えて、アーミッシュの学校をつくり、運営しているのでしょうか?

私がいくつかの文献を読んだ限り、大きな理由が2つあります。

理由1 義務教育長期化への反対

アーミッシュの学校。生徒の席からの写真。

実は、アーミッシュがアメリカに移民してきた当時、一般のアメリカ人にとってもアーミッシュスクールのような学校は珍しくありませんでした。
アーミッシュだけでなく、他のアメリカ人もワンスクール制の小さな学校で短い教育を受けていたのです。

当時は農作業が中心の社会だったので、子どもの教育は8年間で十分だったのです。

ところが、1940年代以降、義務教育の期間を長期化する州が増えてきました。
「子どもの教育は8年ではなく、9年間にするように」という動きです。

この動きの背景には世界恐慌による失業率改善の狙いがありました。
子どもの義務教育期間を長くすれば、低賃金で働く若者の労働市場流入を防げるため、中高年の雇用を確保できる。という狙いです。

それにより教育期間が長期化し、さらに小さい学校が統合され、今の「公立学校」のスタイルが各州で確立されていきました。

アーミッシュは8年間の教育で、自分の家の近くの小さな学校に通い、
学校から帰ってきたら農作業の手伝いをする、というサイクルを大事にしていました。

既存の教育システムに満足していたため、義務教育の長期化という「変化」は受け入れがたかったのです。

これが、アーミッシュが独自の学校を運営するようになった大きな一つの理由です。

理由2 アーミッシュの価値観を守るため

二つ目の理由は、その教育内容。

公立学校では保健や歴史、地理などアーミッシュが「必要ない」と考えている教科まで学びます。
熱心なキリスト教徒であるアーミッシュにとっての「教育」と、公立学校で学ぶ「教育」に乖離があることに、アーミッシュの人たちは気が付きはじめます。

テレビや映画などアーミッシュが距離を置いている「世俗的なもの」に染まってしまうという危機感もあったのでしょう。

アーミッシュは1925年以降、アーミッシュ自らが運営するアーミッシュの学校を建設し始めました。

州政府に訴えられたアーミッシュたち

アーミッシュの学校の本棚

上記2つの理由から、一部のアーミッシュは公立学校に自分の子どもを通わせることを拒みはじめます。

1914年にある3人のアーミッシュが州政府から罰金を課せられます。
理由は、子どもを学校に通わせなかったから。

これ以降、同じような事件がオハイオ州、ペンシルヴァニア州、カンザス州など複数の州で継続的に起こるようになります。

州政府がアーミッシュを起訴し、罰金だけでなく投獄を課せられることも。

このようなアーミッシュと各州の政府の教育衝突は、1972年まで続くことになります。

最高裁判所の判決

アーミッシュの教育をめぐる衝突は1972年に終結に向かいます。

終結の機会となったのがヨーダー事件と呼ばれる裁判。

3人のアーミッシュが子どもを公立学校に通わせないという理由で起訴された事件ですが、この裁判が連邦最高裁によってアーミッシュ勝訴の判決が下されたのです。

「信教の自由」を保障されるアメリカにおいて、アーミッシュの信仰からくる教育方針が認められたのです。

今でこそ当たり前のように運営されているアーミッシュの学校ですが、アーミッシュが独自の教育方針を勝ち取るには、長年の州との衝突があったということです。

アーミッシュの教育方針に関する裁判事件など、こちらの書籍に詳しく書かれておりとても勉強になりました。

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