増えるアーミッシュ、減る日本人。テクノロジーは生き残る力ではない?
ニホンジンという種。アーミッシュという種。
私がなぜアーミッシュに興味を抱くのか、たくさんの理由がありますが、彼らが「種」として成功している、という点にとても興味を持っています。
「種として成功」というのは、人口が増え続けていて、アーミッシュの社会が繁栄しているという意味。
しかも、車もパソコンもスマホもない、「不便」極まる生活にも関わらず、種族としては生き残り続けていきそうなのです。
対して日本はどうでしょう?
政府が様々な対策を打っており、国民の問題意識もある少子化は止まる兆しがなく、人口減による労働力不足や年金問題など派生する課題もたくさん出てきています。
テクノロジーが高度に発展して、非常に便利で快適な暮らしをしている私たちですが、子孫が残りにくい。
ニホンジンという種。アーミッシュという種で比べたときに、長い目で見て生き残っている力があるのはアーミッシュという種のように感じます。
文明の高度さで言ったら、圧倒的に日本の方が高いにも関わらず。
アーミッシュ研究家Donald Kraybillさんの見解
アーミッシュの文化を専門にしている研究者は、アメリカに何人かいるのですが、その中でも著書が多く有名なDonald Kraybillさん。
日本で講演会を開いたときにお会いし、ごあいさつさせてもらいました。(多分もう、5年以上前…。私若い…。)
彼のアーミッシュ研究を一貫するテーマは、
〝なぜ高等教育も受けないアーミッシュが、これほどまでに繁栄しているのか〟
ということだそうです。
それを探るために、彼らの思想、彼らの生活様式、彼らの歴史を調べているという。
人口増の理由に、子だくさんということももちろんあります。
が、子だくさんという要素は少数民族の中では珍しくない。
世界中の民族を見渡してみても、これほど繁栄している種は珍しいとのこと。
子だくさんなことだけがアーミッシュの繁栄の理由ではないと、Donald Kraybillさんは強調していました。
その強固なアイデンティティーと、それを維持しようとするアーミッシュの姿勢、それがあるからこその繁栄だと。
テクノロジーの発展と人間の種としての発展は比例しない
生活が楽になる。生活が便利になる。生活が快適になる。生活が豊かになる。
そのためにテクノロジーはどんどん発達し、私たちの生活に欠かせないものになっています。
私ももちろん、テクノロジーの恩恵を多いに受けています。
でも、「生活が豊か」になれば個人が幸せになれるわけでも、種として生き残っていけるわけでもないんですね。
「技術的に進んでいる社会の方が優位」という幻想が、私の頭の中のどこかにありました。
でも、そんなことはないらしい。
アーミッシュのライフスタイルと、彼らの民族としての繁栄を見ていると、私たちの生活の中で「当然よし」とされているものが、
本当に「よし」なものなのか。立ち止まって考えてみることの必要性を感じてきます。
▼Donald Kraybillさんの著作
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