【アーミッシュの助け合いの仕組み】2週間に1度の礼拝でメンバー全員が顔を合わせる
2週間に一度の礼拝
アーミッシュの相互扶助の文化は、内部を見れば見るほど「よく発達してるなぁ」と納得します。
色々な仕組みを持っているのですが、今日ご紹介したいのは「隔週の礼拝」です。
「礼拝」と書くと、キリスト教のいわゆる一般的な礼拝と相違ないと感じられるかもしれませんが、アーミッシュの礼拝はまったく違います。
最大の特徴は、教会という建物を持たずに、メンバーの自宅で礼拝を行う事です。
一つの教区のメンバーは大人も子どもも含めてだいたい100-200人。世帯でいうと、20-30世帯です。この1世帯1世帯の家が、礼拝の会場となります。
隔週ごとに集まる家を変えるので、「今週は誰々のお宅へ。再来週は別の誰々のお宅へ」というように、メンバーの家庭を巡っていきます。
つまり、持ち回り制で会場を準備するんですね。
100人以上も集まるという事で、アーミッシュはどの家にも広いスペースがあります。
納屋の中とか、半地下のスペースとか、必ず自宅の敷地の中に100人以上が集まれるスペースがあるという事なのです。
これって、すごい事ですよね。
どの家も、一定以上広いところに住んでいるという事です。都内のアパートやマンション暮らしからすると、羨ましい限りです。
(もちろん、家の敷地にそんなに広いスペースがない人もいます。そういう人は、誰か親族にスペースを借りたりします)
↑礼拝が行われる半地下のスペース。普段はベイカリーショップの売り場にもなっている
礼拝では、まずみんなで集まって説教があります。アウスブンドという賛美歌を歌ったり、ビショップなどその日の説教者がお話をします。
これだけでも2時間以上続くらしいです。
その後は、みんなで集まってお食事。アーミッシュ料理としておなじみのマッシュポテト、パイ、クッキーなどをみんなで食べて親睦を深めます。
礼拝をする事で、メンバー間の関係性を維持する
2週間に一度、必ず礼拝があるので、メンバー同士が疎遠になる事はありません。礼拝のタイミングで近況報告をしたり、悩み相談をしたり、情報を交換し合う事ができるからです。
礼拝はキリスト教徒としての信仰を深める場でもありながら、メンバーの「助け合いの仕組み」として、機能しています。
それもそのはず。アーミッシュコミュニティのように、「人々が助け合うコミュニティ」を成立させるためには、まず人々が接し合う機会が必要です。接し合わないと、誰が何に困っているか分かりません。助けの手を差し伸べる事も、助けを求める事もできないのです。
また、普段から接し合っている人だからこそ、助けたいとも思うし、助けて欲しいとも思う。その逆は成立しずらいのではないか? と私は思います。
例えばこのコロナ禍で私は、近所の馴染みの飲食店を助けたいと強く思いました。でも、遠く離れたよく知らない飲食店さんが困っているという話を聞いても、なかなか寄付の行動はおこしずらかったです。
やはり、自分に近しい人から助けたいと思うのが人間の心情なのではないでしょうか。
アーミッシュの人達は、普段からお互いがお互いにとって近しい存在であり続けるために、このような「礼拝」という機会を活用している。そう思えてなりません。
メンバーの自宅で礼拝を行う意味
アーミッシュが、礼拝をメンバー同士の絆を深める機会にしていると考えると、教会という建物を持たない理由もわかる気がします。歴史的に見ると、アーミッシュ宗派が誕生したヨーロッパで彼らは迫害を受けていたため、大っぴらに礼拝ができなかったという背景があります。そのため、建物を持たずに信徒の家とか、洞窟などで隠れて礼拝をしていました。
その名残から現在も教会という建物を持たない習慣が続いていると言われていますが、私は彼らが敢えて建物を持たない事にこだわっているのではないかと思います。
それは、メンバーの自宅を訪問することで、よりメンバー同士が「近しい存在」でいられるからではないでしょうか。
自宅を訪問するという行為は、もうそれ事態が親しい間柄を象徴しています。信頼できるか分からない人、親しくない人を家に呼ぶ事は、誰だってしないですよね。でも、自宅というプライベートな場所をメンバーに提供するという事は、つまりは信頼の証でもあります。
そして、そんなプライベートな場所を一方的に提供しているわけではなく、みんなが提供している。この事で、コミュニティの絆が育っているのだと思います。
メンバーの知恵が集まる事で困りごとが解決される
また、会場を提供したメンバーがどんな暮らしをしているのか、何か困った事がないか、という事を知るきっかけにもなります。もしかしたら、「納屋のここが壊れていて、修理の仕方が分からない」とか、「この畑のこの植物が育たない原因が分からない」とか、「家畜の様子がおかしいけど病気かもしれない」とか、暮らしに関する悩みが礼拝の機会に解決されるかもしれません。
アーミッシュは管理の行き届いている都会のマンションに住んでいるわけではないので、家づくりも暮らし作りも自分の手で行います。家を維持するためには様々な知恵が必要。礼拝の機会に実際の家にメンバー全員が集まる事で、「家づくり・暮らしづくり」の問題が解決されるという事は想像にかたくありません。
礼拝後の食事のメニューが決まっている理由
もう一つ関心するのは、説教後の食事のメニューです。普通に考えたら、食事は会場を提供した家族が用意するのかな?と思いますよね。
それは基本的には正しいのですが、実はメニューが決まっています。
ペンシルヴァニア州のあるアーミッシュコミュニティの礼拝メニューは、
・マッシュポテトとグレイビーソース
・チキン
・インゲン
・パイ
でした。
多少の違いはあれど、コミュニティごとにメニューがだいたい固定化されています。
なぜメニューが決まっているのでしょうか?
それは、実際に自分の家で食事を用意する事を想像してみると、合点がいくと思います。
100人以上も集まるので、そもそもものすごい量の食事を作らなくちゃいけませんよね。さらに、人様に食べさせるので美味しいものでなくちゃいけない。ちょっと見栄を張って、何か凝った物とか、珍しい物を作りたい気持ちもある。そうすると、材料を仕入れるのも難しい。準備も早くはじめなくちゃいけない……
これって、すごく大変ですよね。
ホームパーティーのホストになった事がある人なら、すぐに分かると思います。たった10人ほどのゲストを招くだけでも、飲み物から前菜、メイン、デザートまで、メニューを考えるのも準備するのも作るのも大変です。
これを避けるために、アーミッシュの礼拝後の食事はメニューが決まっているのです。
自分が100人以上のゲストを迎える事を考えると、「メニューが決まってて、良かった!!!」と感じると思います。料理が得意でない人ならなおさらですよね。
逆に料理の得意な人達は、「誰よりもすごいものを作ろう」などという気持ちが生まれそうです。こういう気持ちを、アーミッシュは「虚栄心」として敬遠します。
何よりも「謙虚さ」を大切にする人たちですから。
という事で、礼拝が料理の腕を競争するような機会にならないために、料理を準備する事が負担にならないように、メニューが決まっているというわけです。
ちなみに、現在は会場を提供するメンバーが1人で100人以上の食事を用意するという事はないです。(そういうコミュニティもある可能性はありますが)
たいてい、パイ担当がパイを持参する。クッキー担当がクッキーを持参する。会場で準備する料理は前もってお手伝いさんが派遣されてみんなで準備する、などです。
会場を提供するホストの家族に負担がかからないように工夫されています。
礼拝で必要なグッズはすべてチャーチワゴンに入っている
また、食器やテーブル、椅子などもホストが準備する必要はありません。アーミッシュは礼拝・食事に必要なグッズをすべてまとめてコミュニティで共有しています。
100人以上が座るためのベンチ、聖書、賛美歌、テーブル、食器、カトラリー、ティッシュなど。
これらのグッズをまとめて「チャーチワゴン」と呼ばれるコンテナの中に保管しています。
↑礼拝後の食事ための食器類
このチャーチワゴンを馬に引かせて、会場から会場に移動させます。
アーミッシュコミュニティーを車で走っていると、よくこのチャーチワゴンが置いてある家を見かけます。チャーチワゴンがあるという事は、その家庭で次の日曜日に礼拝が開かれる事を意味します。
おそらく、その家庭は100人以上のメンバーを迎えるために掃除など準備に追われている事でしょう。
とはいえ、ホスト側の負担はかなり軽減されています。
スペースさえ準備すれば、ベンチを並べたり片付けたりはみんなが集まったときに行います。料理も持ち寄りが大半だし、食器などを買い揃える必要もない。
日本でホームパーティーを開催するための準備と比較したら準備は少なくて済みます。
だからこそ、教会という建物を持たずにメンバーの自宅を順番に訪問して開催するという礼拝の習慣が、今でも続いているのでしょう。
助け合いの機会として有用だから続いている
昔のような迫害の脅威は現在、ゼロなわけですから、普通に考えたら教会の建物を立ててしまった方が効率は良いと思います。キリスト教はもちろん、どんな宗教にも「礼拝堂」とか「お堂」とか、集まるための建物がありますよね。
でも、アーミッシュはいまだに建物を持たない。
これは、ただの「昔の名残」という理由だけでなく、「助け合いの機会」として有用だという判断があってからこそなのではないでしょうか。
今、日本でアーミッシュのような助け合いが機能するコミュニティを作りたいという夢に向かって準備をしています。
コミュニティが作れた暁には、このアーミッシュの習慣を取り入れていきたいと考えています。
私の築きたいコミュニティは宗教団体ではないので、説教や宗教的儀式はありません。みんなで集まって食事をする。そういう機会を2週間に1度、自宅を提供し合って設けるというシステムを真似したいと思います。
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