【リアル・アーミッシュ #5】子どもには敢えて仕事を与える。アーミッシュの子育て方針

私が学生の頃に書いたアーミッシュの家庭の滞在レポートを公開しています。

▼バックナンバー
【リアル・アーミッシュ #1】学生の頃に書いたレポート文を公開します
【リアル・アーミッシュ #2】現実のアーミッシュの世界にいよいよ潜入
【リアル・アーミッシュ #3】25歳3児の母・アーミッシュお母さんのお手伝い
【リアル・アーミッシュ #4】アーミッシュの女子会に参加。旦那さんのサプライズを目撃

アーミッシュコミュニティでは、子どもが子どもの面倒を見る

↑赤ちゃんの面倒を見るアーミッシュの女の子 ↑赤ちゃんの面倒を見るアーミッシュの女の子

 

アーミッシュの家庭で開かれた女子会に参加しているときに興味深かったのが、子どもたちが遊ぶ様子だった。お母さんについてきた子ども達が集まって、大人が話している間中、ずっと隣の部屋で遊んでいた子どもたち。
よく観察すると、大きい子が小さい子の面倒を見ているのだ。一緒に遊びながら、きちんと気を遣っている。おもちゃを取り合って大泣きしたり、乱暴に自分の思い通りにしようとする子はいない。ランチの前に親が、「片付けなさい」と一声かけると、ピタリと遊びを止めて、もくもくとおもちゃを元の場所に片付ける。存分に散らかして遊ぶのだが、ちゃんと片付けもする。
3,4歳の子どもがおもちゃをテキパキと片付ける光景なんて初めて見たので、思わず感動してしまった。

帰りのバギーの中で。ネバからのアドバイス。

帰りのバギーの中で、ネバとはこんな会話をした。

ネバ「日本ではみんな何人子どもを持つの?」
私「たいてい、二人くらいかな。子どもが少なくて、深刻な社会問題になっているよ。」
ネバ「そう、それはアーミッシュを除いたアメリカ社会でも同じね。」
私「でも私は子どもは多く持ちたいかな。」
ネバ「ふふふ。それなら子どもをおおいに遊ばせて、また同時に働かせるのがいいわよ。仕事に就く前から子どもに働くことを経験させておかないと、働けない大人になるから。」

ドキっとした。
この言葉が啓示する意味がとても重かった。
なるほどネバの子どもはよく働く。5歳のスティーブンは毎日皿拭きをするという。一度手伝わせてもらったとき、マグカップのしまう位置を聞くと、「本当は棚の上なんだけど、僕らじゃ届かないから、オーブンの上に置くんだ。あとでお母さんがしまってくれるから。」と。

そう、まだキッチン台に手が届かないほどの子どもなのだ。皿拭きも、子ども二人がかりで椅子に立ったり台に座って手伝う。見事な速さで。

テーブル拭きをするアーミッシュの女の子
↑テーブル拭きをするアーミッシュの女の子

洗濯だって小さい男の子が可愛らしく長靴を履いて率先して手伝う。12歳の女の子デブラも馬の世話などの納屋の仕事を完璧にこなす。

ある日私が納屋の仕事を教わっているときに、「働くのは好き?」とデブラに聞かれた。12歳の女の子がこんな質問をする?  と驚いた。彼らは働くことを全く厭わない。むしろ美徳だと感じていると思う。そりゃ、働くより遊ぶ方が好きみたいだが、与えられた仕事、やらなくてはいけない仕事をきちんとこなす。まるで当然の事として。

子どもには敢えて仕事を与える

納屋の仕事を手伝うアーミッシュの男の子
↑納屋の仕事を手伝うアーミッシュの男の子

しかしこの子どもたちの働きぶりは、大家族で仕事がたくさんあるから子どもまで働き手として活動しなくてはならなくなる、という結果論ではなかったのだ。それはネバの教育上の意図だったのだ。彼女は確固たる目的を持って、それに基づいて子ども達を働かせている。そう言われるとつじつまが合う気がした。
皿拭きは洗った後に放置して自然乾燥にさせてしまえば手間がはぶけるし、他の仕事にせよわざわざ子どもにやらせないほうが効率がいいものもある。
しかし敢えて子どもに仕事を与えるのだ。私たちの様に、家事を減らすために全自動洗濯機や食器洗い機などを用いるという思考はアーミッシュにはない。日々のお手伝いでさえ大事な教育の一環であり、効率化や速さよりも丁寧さを重視することを体感させ、さらに働くことに抵抗を持たせないための大事な機会なのだ。

子ども達は自分に責任・役割があり、存在意義があることを自覚している

犬小屋の掃除を手伝う女の子
↑犬小屋の掃除を手伝う女の子

当の子どもは自分に家庭の中での役割があることを知っており、それを果たすために活動する。たくさんの兄弟を持ちながら、自らの役割というアイデンティティを持ち、自覚しているが故に、もちろん部屋に引きこもったりしない。

「学校に通う事が子どもの仕事。」という言葉を日本では耳にするが、アーミッシュに聞かせたら「とんでもない!」ということになるだろう。フリーター、ニート、引きこもりという社会問題を抱える私たちにとって、ネバのこのセリフは耳が痛かった。

子どもに家庭での役割を与えるという事が、これらの問題に示唆を投げかけている様に感じた。
アーミッシュの、全自動洗濯機や食器洗い機を使わないという選択、自動車を持たないという選択などは、近代社会から一線を画すという一つの目的からだけの判断ではないのだ。

子どもの教育、共同体の結束、アーミッシュとしての生き方への影響など、様々な要素を絡めて推測された上で決断された計画的な選択なのだ。

合理的で、賢い、と私は感じた。そして、アーミッシュとしての生き方を貫くために、私たちが求めて止まない便利さ快適さを捨てられる根性。強いなぁ……。

つづく。

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